2025年7月18日
人生のゴールは納得
人は「つながり」の中で生きる存在
人間は集団的な生き物です。
人間は他の生物とは異なり、一人では生きていけません。
アドラー心理学では、人は他者との関係の中で自分の居場所や意味を見つけようとする存在とされています。
原始仏教でも、「縁起」によってすべては関係性の中に存在しており、人間もその例外ではありません。
つまり、人は「つながり」の中で生き、つながりの中で価値を感じ、つながりの中で苦しみも生まれます。
承認欲求とは何か?
承認欲求とは、他人から認められたい、評価されたいという気持ちです。
これは人が社会的なつながりの中で生きる以上、自然に生まれる心の働きです。
たとえば、誰かに努力を褒められて嬉しいと感じるのは、その言葉が自分の存在や行動を肯定されたと受け取り、自己肯定感が支えられたからです。
つまり、他者からの承認は、私たちが「自分には価値がある」と実感するきっかけになります。
しかし一方で、「承認欲求なんていらない」と極端に否定してしまうと、承認を求めること=弱さや依存と捉えるようになり、その結果として、人に相談したり助けを求めたりする行為すら「してはいけないこと」だと無意識に避けるようになります。承認欲求そのものは善悪で語るものではなく、人間である以上誰にでも備わっている、ごく自然な心の働きです。大切なのは、それを正しく理解し、振り回されずに健全な形で向き合っていくことです。
承認欲求には2つの側面がある
人間の承認欲求は、以下のように分けて考えることができます:
- 精神的依存:「認められないと不安」「好かれたい」「嫌われたくない」など、心の拠り所を他人に求める傾向。
- 物質的依存: 生活や成果に直結する場面で、他者の判断や選別を受ける必要があるケース(例:採用、評価、売上など)。
アドラー心理学では、精神的な承認欲求を「他者の評価に依存する生き方」として注意深く扱います。
一方、原始仏教では「有愛(存在欲)」として、「何者かでありたい」という欲は苦しみの原因と説かれます。
しかし、就職面接で採用されるかどうかのように、現実的には他者からの承認が必要な局面もあります。
これは物質的な依存であり、生きるための合理的な戦略でもあります。
能力の優越性を追求するという現実
きれいごと抜きにして、人生にはサバイバル的な側面があります。
つまり、生き残るために、能力の優越性を求めたほうが良い局面があるのは事実です。
原始仏教においても、執着を否定する一方で、日常生活で必要な努力や技術の向上は否定されていません。
アドラー心理学もまた、「貢献感」を得るために能力を磨くことを奨励しています。
問題は「誰よりも優れていないと価値がない」と思い込むこと。それこそが、苦しみを生む妄想です。
他力を借りることと依存の違い
他者からの助けを借りることは、人間が集団で生きる上で必要な行為です。
たとえば、病気のときに医師に診てもらう。これも立派な「他力を借りる」行為です。
物質的な依存とは、そうした「生存・行動のための他者の力を借りる」こと。
アドラー心理学でも、「共同体感覚」という言葉で、人は他者と協力し、貢献し合う存在であると強調されます。
問題になるのは、精神的な依存です。
評価や好意が得られないと、自分には価値がないと思ってしまう。
これはアドラー心理学では「承認を得るために生きてしまう人生」だとされ、原始仏教では「妄想」として手放していく対象です。
就職面接も承認の一種である
就職面接で採用されることも「承認」の一形態です。
この承認は、能力・人柄・価値観の全体像を他者が評価するという構造になっています。
ここで重要なのは、「承認を得ることが目的になる」のか、「承認は手段である」のか、という線引きです。
アドラー心理学では「目的論」の考え方が中心であり、何を目的としているかによって行動の意味が変わるとされます。
つまり、「働きたいから採用されたい」のか、「認められたいから働く」のかによって、承認欲求の扱いがまるで変わってくるのです。
貢献感は「存在するだけで価値がある」につながる
アドラー心理学では、人が幸せを感じるのは「貢献している」と感じられるときです。
この貢献感は、社会の役に立つことだけでなく、「ただそこにいるだけで誰かの安心になる」といった、もっと静かな価値でもあります。
原始仏教では、慈悲(mettaとkaruṇā)によって、人の存在を評価抜きに受け入れる心が育てられます。
だからこそ、「存在そのものが役に立っている」と自然に感じられるようになるのです。
最終的に、人生のゴールは「納得」である
他者との比較や評価に疲れることもあるでしょう。
「能力が足りない」「もっと頑張らなきゃ」と追い込まれる日もあるかもしれません。
しかし最終的には、誰にどう思われたかではなく、「自分の人生を、自分自身で納得できるかどうか」が人生のゴールです。
原始仏教では「無常・無我・苦」という視点から、すべてを握りしめず、淡々と受け入れる姿勢が重視されます。
アドラー心理学では、自分が選んだ目的と行動に納得しているかどうかが、人生の満足を決めるとされます。
自分の能力を磨くのも良し、評価を得るのも良し。
でも、それらすべてを「納得できる手段」として扱う。
それこそが、他人と比べない自由を生む、生きる智慧なのです。